#できることとできないこと


何をしようとしていて何をしないか 

 を選択するときに


何をすべきで何をすべきでないか

 を考えてみるが


結局のところいつでも、

何ができて何ができないか

 という問いに直面する。


そのたびに

自分の手先の不器用さや

ものぐさな性質にくわえ

世の中への無知さと

単なる無力さを突き付けられることになる。


自らの能力的な困難を乗り越えてもすべきだと思えることには

崇高な目的を必要としてしまう 自分の虚栄心と


いまのままの自分には超えることができないことは

たやすく放棄してしまえる 自分の諦めのはやさの


どちらが、どれだけ どのような 誰の 何の為に 作用するのか


いまの 自分にはわからないから 

二つを同時には達成できないから


どちらかを選択することになるとして


しかし、

そのとき、


たとえば、そこで

できることとできないことの間にそれぞれの「臨界」点が存在するとしたら

その点は、相対的なものとして揺らいでいるのか、絶対的なものとしてそこにあるのか。


できなかった場合、臨界点はどこにあったのかを知りようもないし

できてしまった場合、超えられた臨界点が本当の臨界点であったのか、あやしい気もする。


いや、そもそも、私は、それを

できなければいけないのか?

できるべきなのか?


できてしまった私が見捨てている

もっと本質的で、大切で、大事なことは、本当にないのだろうか?


©関愛子

©SEKI AIKO 2023 のテーマは、 単純さをとりもどす