あの夜のまるけと現在進行形。

2年前の9月15日。

私は、この日を境に、「なにもつくらない」事をやめた。

自分の中にある有象無象を、公開することを、
それに伴い生じる一切に、向き合うことを覚悟した。

私は、アーティストと呼ばれることへの怖れを捨てた。




もう変わることもないと思っていた私の人生が、一変した日。

ヘンテコな私を理解してくれた人と
ヘンテコな私だけが理解できた人

心のともと慕っていた、大切な2人の大人が同時にいなくなって、

私が30余年かけて踏んで慣らして固めてきた地面に、
いとも容易く、穴が空いた。

その穴から、洪水のように噴き出しはじめた
あんなものやこんなものを涙目で眺めるうちに、

私はそれらを掴みたくなった。
掴んで、もう一度眺めたくなった。
眺めて、記憶に鮮明に刻みたいと思った。
いつか自分の体も動かせなくなったその時に、
その記憶を咀嚼する楽しみを、悲しみを、
生きたことの喜びを証を、感受できるように。

私は今、自らの地底の水脈から
なお噴き出している天然の噴泉の中に手を入れて、
とりわけ大きなものを、取り出し、並べている。

過去を眺めて、未来へ想いを馳せる。
過去から未来への動線上に、あるはずの、今、を、見るには
刻は、速く流れすぎる。

それは、幻になったあの夜のまるけから、現在進行形。

「現在進行形」それは、
この現象が、今なお継続中であり、完了していない、という表現形式。