一年の厚さ

これが一年なんだと。

ただただ消化してきた日数を思い起こしても、
自分の肉体に月日の感覚は、まだ、染み付いていない。

生きているうちに、これが一年だ、と
自分の体が、頭が、納得するような瞬間は、くるんだろうか。

だけど、これが一年なんだなと。

岐阜善光寺 松枝秀晃氏 一周忌の朝、
彼の生命反応が途切れた「午前10時23分」にスタートする、という
善光寺阿弥陀市「シューコーまるけ」に出かけるつもりで、

この日は暑くて、自転車で行くのを躊躇して、
バスで会場行こうかなとか家出る直前まで考えあぐねてたら、
もはやバスでは間に合わない時間になって、
やっぱり自転車に乗っていくことにする。


ちょっと歪んだリズムで回るペダルを踏んで、
熱い日差しを受けながら、風切って走りはじめたら、
私が彼を「松枝さん」と呼んでいた頃、
いっしょに岐阜町を自転車で回った日がフラッシュバックする。
彼は自転車を「ケッタ」と呼んでいた。

今年はやけに暑かったのもあって、
長良橋を自転車で渡ることも少なかったな。

自転車を飛ばして善光寺通りを入って、
スチールパンが奏でる忌野清志郎が聴こえてきて、
気持ちが一気にあの日に引き戻される。

ここにいたんだ、彼は。
彼を知る人が、ここにいるんだ。

それだけが、
それこそが、という
それこそを、支えにして。

彼と同じ日に亡くなった義父の看取りを終えて、
岐阜に戻ってきて、彼が霊柩車で運ばれていった日の夕方、
厚くて幅のある、長い長い道のようにもみえる夕焼け雲を見つめて、
そろそろ今、あのぞうりを履いて、あの上歩きはじめたのかな
と思ったことを、

いま、あの日と同じ空に浮かぶ、朝焼けの雲を見ながら、思い出す。

©関愛子

©SEKI AIKO 2023 のテーマは、 単純さをとりもどす